ABOUT
EDUCATION AND QUALIFICATIONS
Sep 2013 – Jun 2017
University of the Arts London
Central Saint Martins College of Arts and Design
MA Fine Art
Apr 2009 – Mar 2013
MUSASHINO ART UNIVERSITY:
BA in Oil Painting and Printmaking
GROUP EXHIBITIONS AND OTHER EXPERIENCE
2017
•Degree Show at Central Saint Martins, London.
2016
•"Ma(間)" at Shinjyuku Ganka Garou Gallery, Tokyo.
•"Unhearable Noise" at HAGISO, Tokyo.
2014
•“Tomorrow Today” Central Saint Martins MA Interm Show.at Bargehouse, London.
2013
• Graduation Show at Musashino Art University, Tokyo.
2012
• Central St. Martins Summer Orientation course, London.
2011
• “39artists 390pieces 3900yen” at Gallery KOBO CHIKA, Tokyo.
• “Artists’ Action For Japan”, Tokyo. Painter.
2010
• “etteda!” at Tokyo Design Centre, Tokyo.
2009
• “etteda!”(Korea-Japan creators’ cultural exchange
exhibition) at GalleryIANG, Seoul.
• “La Maison Akiyama” at Maison Akiyama, Tokyo.
• “etteda!” at Tokyo Design Centre, Tokyo.
• “Sprint The Hit Chart!” at Musashino Art University Exhibition Hall, Tokyo.
STATEMENT
私の制作の目的は、即興性や直観、素材の観察に基づいた自己探求のプロセスを通じて、私の信じられる普遍性や信念を探すことであると考えます。私の求める普遍性や信念とは、変化し続ける私自身が一体どのような存在で、どのような世界観を持っているのかを、定義するためのヒントのようなものであり、私という存在がより明白に世界と関わっていけるためのツールになるものだと考えています。
即興性や直感に基づいた制作とはつまり、実験的に、または思いつくままに制作するという意味ですが、私がこのプロセスを踏むのは、自分の言語思考パターンや制作パターンにとらわれることなく、より作品の出力にバリエーションを持たせるためです。というのも、自分の中の多様性にこそ、一貫した私らしさが隠れているように思えるからです。
また、私はマテリアルを限定しません。素材を言語に例えるならば、ひとつの言語を極めるより、稚拙であっても多言語で、より多様な人々と関わることで、自分の中の普遍性を探りたいと考えるからです。そしてその素材たちとの対話も非常に重要です。素材の中に、自分の好きな部分を見つけ出し、その素材の特質を利用することは、制作の喜びのひとつです。しかし同時に、素材の性質をあえて無視して制作することで、作品に強さや私らしさが現れることがあるのも事実であり、面白い点でもあります。
私の作品において、「わたしの家族」がテーマとしてたびたび扱われますが、私にとって「わたしの家族」とは信じたいものの象徴であり、自分自身を精神的、身体的に形成する私の核とも言える存在です。そのため「わたしの家族」は、制作モチーフとしてだけでなく、制作における良し悪しの判断や、制作を終わりにするか否かといった判断に、迷いが生じたときの指針にもなります。
現時点で私が信憑性を見出している判断基準に、自己と環境、静と動、生と死のように、相対的なものそれぞれの間にある、「間」(あいだ)の感覚、そして余白に美を見出す日本の美意識である「間」(ま)の感覚があります。そして過去から現在にかけての私の作品に一貫した興味として、「身体感覚」があります。これらの感覚は、ひとつのオブジェ、または平面としてその中に存在することもあれば、空間との関係性からその場に生まれる場合もあります。意図的に生みだそうとすることもあれば、意図せずにふわりと現れることもありますが、この感覚が視覚化され、目の前に現れる時、私は自分のやっていることが間違ってはいないと、直感的に感じられるのです。
まず間(あいだ)の感覚について述べると、例えば色であれば、暖かかく同時に冷たい色をさします。黒と白はその点で非常に自由で、私の作品においても頻繁に使われる色であるように思います。例えば眠りは、死んでいるようにも生きているようにも見える、私にとって興味深い状態です。そして例えば呼吸は、自己と環境、生と死の狭間にあるドアのような存在であり、これもまた私にとって興味深い働きです。
間(ま)は、神道や仏教の影響を強く受けており、例えば4本の棒などによって示された何もない空間や、絵画の余白などに美を見出す、見る側の想像力を動員する美意識です。神域の中に、目には見えないが神が降臨する、といった宗教儀式が始まりだと言われています。小さな余白の時よりも、大きな余白の時の方が立ち現れやすいということはなんとなくわかってきたのですが、未だにコントロールすることの難しい、曖昧で、それでいて絶対的な、神道そのもののような感覚です。
そして最後に身体感覚ですが、これは真に私的で個性的でありながらも、人間間で共有される感覚であるように思います。世界はミクロとマクロの間において、構造こそ似通っていますが、それぞれの物(人間・動物・自然環境・現象etc)は違う姿かたちをしています。それらを一番あるがままに理解しているのが身体であるように、私には思えるのです。置かれている自身の環境や精神状態が顕著に反映される場合が多いですが、これも素材そのものからインスピレーションを得ることも多々あります。
自分を信じて制作を続けること、自己探求を続けることは、私にとって簡単なことではありません。しかし、その作業をやめてしまうことも、同じくらい難しいことです。なぜなら自分自身を知ることは、他人を知っていくプロセスにおいてヒントにもなるからです。その点において、自己探求は私にとって、他者と関わっていくための大切な練習でもあります。私にとって作品制作は、他者や社会とうまく関わっていくためにも不可欠なのです。
2017年7月27日